2023年5月25日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」で、1974年に起きた日曜連続爆弾事件が放送されます。
この事件の犯人は「ウルトラ山田」と名乗る人物ですが、一体どんな人物なのでしょうか?
また、犯人の現在についても気になるところですよね。
そこで今回は、ウルトラ山田は何者で正体は何なのか、また犯人の現在についてまとめてみました。
日曜連続爆弾魔事件とは?

1974年の3月17日に日曜連続爆弾魔事件とは、「ウルトラ山田」と名乗る人物が他の爆破事件の犯人を釈放を求め、何度も起こした爆破事件を指します。
主に日曜日に犯行が行われていたことから「日曜連続爆弾魔事件」、または「ウルトラ山田事件」とも呼ばれています。
この事件の時系列としては、
- 【事件①】1974年2月18日:近鉄上本町駅コインロッカー爆弾事件が発生
- 【事件①】1974年3月13日:犯人・千葉兄弟の逮捕
- 【事件②】1974年3月17日:近鉄デパート阿倍野店の子ども服売り場で爆破事件が発生
- 【事件②】ウルトラ山田を名乗る物から爆破予告の脅迫状が現場に残されていた
となります。
全く異なる事件ですが、立て続けに爆破事件がおきたことで日本中を震撼させワイドショーでも連日取り上げられました。
どのような事件内容だったのか、簡単に解説していきます。
事件①近鉄上本町コインロッカー爆弾事件
まず、始めは1974年2月18日に大阪市天王寺区で起きた爆弾事件でした。
近鉄上本町駅内のコインロッカーで爆弾が爆発し、近くから現金5000万円を要求する脅迫状が発見。
3月13日に現金を受け取りにきた千葉という男と共犯者の弟が逮捕されました。
「近鉄上本町駅コインロッカー爆弾事件」とも言われるこの事件は、当時44歳と31歳の兄弟による金銭目当ての犯行だったようです。
事件②近鉄デパート阿倍野店爆発事件(ウルトラ山田事件)
事件は解決したと思いきや、千葉兄弟が逮捕された数日後に新たに爆発事件が発生しました。
1974年3月17日午前11時半ころ、日曜日の混雑する近鉄デパート阿倍野店7階子ども服売り場で爆発が発生。
爆発とはいえど、威力は低いもので音と白煙が出た花火程度のもので、客や店員に怪我人はでませんでした。
この事件は犯人がウルトラ山田と名乗っていることから、「ウルトラ山田事件」とも言われています。
ウルトラ山田は犯行現場に、以下のような脅迫状を置いていました。

次の事を実行せよ
我々の要求に応じるならば我々は第二第三と爆破及び放火計画を中止する
我々の要求とは千葉兄弟を訳放(ママ)せよ
要求に応じないときは我々は近鉄百貨店 近鉄電車が攻激(ママ)目的となる
我々は利益を目的としない
甘く見るな
ウルトラ山田より
引用:tvasahi
犯人の出した脅迫状は、漢字の誤字があるものの、几帳面かつ美しい筆跡だったそうです。
この脅迫状で釈放が要求されている「千葉兄弟」とは、ウルトラ山田事件の数日前におきた爆弾事件の犯人のことを指しています。
さらに、同日午後4時44分には近鉄デパート阿倍野店に脅迫電話がかかりました。
脅迫電話内容がこちら。
「われわれの仕掛けた爆弾はどうなった、要求に応じることになったのか」
「あの千葉兄弟を釈放するのか、しないのか。そこの置き手紙を見たのか」
「7階の催し場だよ。次の日曜を楽しみにしているからな」
「テレビやラジオで、俺たちのしたことをいたずらと言ってるな」
「爆弾のことだよ、わかってるな。テレビやラジオでいたずらと言ってるけど。いたずらじゃないことだけは知っておいてくれ。」
「いたずらじゃないことだけ知ってればいいんだ」
声は作り声と明確に分かるもので、40歳前後のしゃがれた声だったそうです。
この後も爆弾事件が続き、警察が右手の指3本を失う重症や複数の軽傷者が続出。
犯人は千葉兄弟の釈放を求めるだけで、金銭の要求をしてくることはありませんでした。
合計4件の爆破事件は、いずれも日曜日に行われた犯行だったそうです。
事件発生から6ヶが経過し迷宮入りかと思いきや、警察のローラー作戦や犯人が現場に幾度となく見物人として訪れていたこと、事情聴取の際の指紋照合で犯人が明らかになりました。
ウルトラ山田は何者で正体は?

日曜連続爆破事件の犯人「ウルトラ山田」とは、一体何者なのか気になりますよね。
ここでは、ウルトラ山田の正体について解説していきます。
当時13歳の中学生だった
結論からいうと、ウルトラ山田とは当時13歳の中学生・少年Aでした。
ウルトラ山田は当時、未成年だったことから顔画像や年齢などの詳しい素性は公表されていません。
しかし、取材などから家族構成や生い立ちの背景がわかっています。
ウルトラ山田(少年A)の判明している情報がこちら▼
- 当時13歳・中学2年生の爆弾マニア
- 母子家庭の一人っ子で、母親と祖母の3人家族
- 母親は税務署の電話交換手として働いているため、幼い頃から鍵っ子
- 小学生のときは新聞配達などで金銭的に母親を手伝っていた
- 小学6年生から学校を休みがちになり、中学2年生とのきには不登校となっていた
- 学業をそっちのけでアルバイトと爆弾作成に時間を費やしていた
ウルトラ山田(少年A)は、シングルマザーの家庭で生まれ育ちました。
生活費を工面するために小学生のときから新聞配達をされていたようです。
しかし、次第に学校へ通わなくなり、アルバイトと爆弾を作ることに夢中になっていたそうです。
母親は生活に追われていたため一連の爆破事件に気づかず、息子が夜な夜な勉強部屋で爆弾を作っていることも知りませんでした。
脅迫状は母親が書いていた

学校に行っていないウルトラ山田(少年A)は、難しい漢字が書けませんでした。
そこで母親に頼んで例の脅迫状を書いてもらったのだそうです。
あまりの内容に母親は代筆を頼まれた時に、何に使用するのか聞いたところ、ウルトラ山田(少年A)は
なんでもいいんやないけ。言う通りに書いてくれたら、それでいい。べつに何もせえへん
とコメント。
すると、母親はそのまま何も言わずに文章を書いて息子へ渡しました。
神戸大丸デパート爆破事件の模倣犯
またウルトラ山田は模倣犯であり、1967年に起きた神戸大丸デパート爆破事件を模倣したと言われています。
神戸大丸デパート爆破事件とは:1967年1月に大丸神戸店のトイレで起きた爆破事件。
現場には「ウルトラ山田」という脅迫状が残されていた。
犯人が検挙されず、公訴時効を迎え未解決事件となった。
なお、多くの死傷者を出した山陽電鉄爆破事件と同一犯の疑いもある。
このときの犯人がウルトラ山田と名乗っていたため、同じ名前を使用したとのこと。
まぎらわしいですが、神戸大丸デパート爆破事件の犯人とは別人となります。
ちなみに山陽電鉄爆破事件当時、少年Aは6歳の年齢だったようです。
ウルトラ山田事件の犯人は現在60代でどう暮らしている?

ウルトラ山田事件の犯人(少年A)は現在どう暮らしているのでしょうか?
事件当時13歳だったウルトラ山田(少年A)も、2023年現在の年齢は61〜62歳となります。
事件後については未成年だったことから、名前や顔その他素性について明らかになってはおらず、その後が分かるような取材などの情報がありませんでした。
おそらく未成年ではありましたが、事件後少年院に数年入っていたことが予想されます。
しかし、すでに釈放され社会復帰されていることでしょう。
もしウルトラ山田(少年A)が再犯をしていたとしたら、前科ありですし事件のニュースで大きく報道されそうなので、更生し再犯などはしていないのかもしれませんね。