ジャニーズ事務所の6人組アイドルグループ「忍者」。
1990年8月に「お祭り忍者」でデビューした人気グループでしたが、いつの間にか自然消滅していたと言われています。
「忍者」が解散してしまった理由とは、何なのでしょうか?
また、メンバーの志賀泰伸さんが途中で脱退した原因も気になるところですよね。
そこで今回は、忍者(ジャニーズ)が解散した理由と志賀泰伸さんが途中で脱退した原因についてまとめてみました。
忍者(ジャニーズ)が解散した理由は?

1985年から1997年にかけて活動していたジャニーズグループ「忍者」。
アクロバットを持ち味としたグループで紅白歌合戦にも出場し人気を博しましたが、いつの間にか自然消滅されています。
一体、「忍者」の解散理由とは何だったのでしょうか?
この件についてリサーチしてみたところ、元リーダー・柳沢超さんが2017年9月8日放送の「じっくり聞いタロウ」で解散理由について大暴露していました!
忍者の解散理由はこちら。
- 光GENJIとSMAPに挟まれた不遇なグループだった
- デビュー時に炎上
- 音楽番組終了で仕事激減
詳しくそれぞれ見ていきましょう。
光GENJIとSMAPに挟まれた不遇なグループだった
「忍者」は超不遇なグループだった言われています。
その中でも、忍者のデビュー前に光GENJI、デビュー後にSMAPがデビューしていたことがあげられます。
どちらも社会現象を巻き起こしたジャニーズを代表するグループですよね。
そんな2つのグループに挟まれ、名前の通り影の道を歩いてきたという忍者。
アイドル人気も光GENJIとSMAPの2大巨頭に押しつぶされるという不遇の時代にデビューしてしまったそうです。
デビュー時に炎上
続いて、忍者の不遇エピソードとしてデビュー時に炎上というものがありました。

1990年に念願のデビューを果たしますが、そのデビュー曲は美空ひばりさんの「お祭りマンボ」をリメイクした楽曲でした。
しかし、このデビュー時期はちょうど美空ひばりさんの1周忌と2ヶ月ほどでした。
そのため、美空ひばりさんのファンから相当叩かれたのだそうです。
「美空ひばりさんが亡くなられて1周忌が過ぎたぐらいにデビューだった。さすがにひばりさんのファンから相当叩かれました。なんでそんなジャニタレが歌うんだ!!って」と柳沢が話すと思わず河本が「不遇」とつぶやく。
引用:ザテレビジョン
このように念願のデビューも苦しいものだったようですね。
音楽番組終了で仕事激減
さらに、忍者がデビューした時代は音楽番組の終了が重なっていたそうです。
「ザ・ベストテン」、「トップテン」、「夜のヒットスタジオ」が次々に終了。
このことで活動の場がなくなり、仕事が激減。
すると、解散とも言っていないうちに自然消滅してしまったとのこと。
解散コンサートも無かったという忍者ですが、とことん不遇の連続が続いていたようですね。
志賀泰伸が途中で脱退したのはなぜ?

忍者の初期から所属していたメンバーの志賀泰伸さん。
1985年の忍者の前身である「少年忍者」のメンバーで、1990年8月に「忍者」としてCDデビュー。
しかし、4年後の1994年に忍者の脱退とともにジャニーズ事務所を退所しています。
志賀泰伸さんの現在の詳細はこちら↓

志賀泰伸さんが、忍者から途中脱退した原因はなぜなのでしょうか?
結論から言うと、実は志賀泰伸さんがCDデビュー前にすでに結婚して嫁と子供(息子)がいたことが1994年に発覚。
「ジャニーズ百科事典」によると、結婚した嫁・Sさんは9歳年上の女性だったようです。
CDデビュー以前から、事務所、メンバー、ファンなど全てに内緒で、9歳年上の女性・Sと既に入籍。その後、男児までもうけていたことが1994年になって発覚する。
引用:ジャニーズ百科事典
この妻子の存在が明らかになったことで、志賀泰伸さんは忍者を脱退しジャニーズ事務所を退所。
ちなみに同時期にメンバー・古川栄司さんも脱退していますが、その理由は太ったためだと言われています。
古川については、太ったためにジャニー喜多川社長から「ユー、痩せて」と言われたが無視していたら契約を更新されなかったとのこと
引用:Wikipedia
故・ジャニー喜多川社長からの忠告を無視していた結果、契約更新されなかったそうです。
この2人の同時脱退も忍者の活動に大きな影響を与えていたのでしょうね。