宮崎勤の一族の末路まとめ!家族の2023現在が壮絶すぎる!

宮崎勤の一族の末路まとめ!家族の2023現在が壮絶すぎる!

1988年から1989年にかけておきた連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤氏。

あまりにも壮絶な内容で世間を震撼させた事件としても知られています。

これほどの大事件を起こした宮崎勤氏ですが、現在ご家族はどうされているのでしょうか?

かなり風当たりも厳しかったことが予想されますが、事件発覚後どのような人生を送られているのか気になるところですよね。

そこで今回は、宮崎勤容疑者の家族の現在、一族の末路についてまとめてみました。

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目次

宮崎勤事件とは?

宮崎勤事件とは?

宮崎勤氏は、「連続幼女誘拐事件通称:宮崎勤事件)」の犯人です。

宮崎勤事件とは、1988年から1989年にかけて東京・埼玉でおきた幼女4人が被害となった誘拐殺人事件のことを指します。

宮崎勤事件とは?

4人の幼女・女児を、誘拐・性的暴行・殺害・死体遺棄するとともに、

  • 被害者の自宅へ遺骨を送りつける
  • 「今田勇子」の名前で犯行声明を新聞社に送りつける

といったあまりに残忍な手口と異質な行動をとったことで、メディアの報道が過熱を極め連日大きく取り上げられました。

事件の流れをまとめたものがこちら▼

【犯行①】

  • 1988年8月22日:埼玉県入間市で4歳女児Aが行方不明に。
  • 警察による大々的な捜索が行われるものの、発見できず。

【犯行②・③】

  • 1988年10月3日:7歳女児Bが行方不明
  • 1988年12月9日:4歳女児Cが行方不明
  • 1988年12月15日に、埼玉県名栗村の雑木林で女児Cの遺体が発見されたことで警察はこれらを「誘拐殺人死体遺棄事件」と断定。
  • 1989年2月6日:女児Aの自宅玄関前にダンボールが置かれており、中から焼けた人骨片と歯が見つかる。(のちに女児Aのものと鑑定される)
  • 1989年2月10日・11日:「今田勇子」の名前で新聞社と女児A宅に犯行声明と女児Aが写った写真が郵送される。(犯人しか知り得ない情報だったため声明文は犯人が書いたものと断定。)

【犯行④】

  • 1989年6月6日:東京都江東区で5歳女児Dが行方不明に。
  • 1989年6月11日、頭部と両手足首が切断された女児の遺体が発見される。

とても衝撃的な内容で驚きですよね…。

そして、宮崎勤氏が逮捕されたのは1989年7月23日のことでした。

東京都八王子市で女児へわいせつ事件を起こしているところを、被害女児の父親に取り押さえられ現行犯逮捕されました。

強制わいせつ罪で起訴された際に、女児Dの殺害を自供したことで「連続誘拐殺人」の犯人と判明し再逮捕されることとなりました。

宮崎勤氏は、逮捕後約9年の時を経て2008年6月に死刑執行されていますが、その後も世間を震撼させたとして度々再現ドラマが放送されて事件内容が語り継がれています。

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宮崎勤の家族の2023現在は?一族の末路まとめ

宮崎勤の家族の2023現在は?一族の末路まとめ

あまりに悪質な事件であったため、宮崎勤事件はその家族にも矛先が当たるようになりました。

誹謗中傷も凄まじいものだったようですが、宮崎勤氏の家族は2023年現在どうされているのでしょうか?

ここでは、家族・親戚ら一族の末路についてご紹介します。

父親

父親は、印刷所を営んでいました。

宮崎勤氏の逮捕後、実家には、

「おまえも◯ね」

「娘も同じようにして◯してやる」

などと書かれた差出人不明のハガキや封書が届き、嫌がらせ電話も相次いでいました。

それらの誹謗中傷が原因となり、1年後に引っ越しされました。

そして、息子から私選弁護人をつけてくれるよう頼まれるも拒絶。

4年後の1994年に自宅を売却し、その資金で被害者の遺族へ支払う段取りをつけると、東京都青梅市にある神代橋から飛び降り自殺をしました。

過去のインタビューでは、自分が糾弾されるのは当然だが、関係ない自分の親族にまで矛先が及ぶことに苦悩していると明かしていました。

宮﨑の父親は、自分が糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、まったく関係のない自分の親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞したりすることを余儀なくされていることに苦悩していると、インタビューで言及していた

引用:wikipedia

長女・次女

宮崎勤事件後、

「お前たちも◯ね」

「◯してやる」

という悪質な嫌がらせの手紙が殺到。

長女は務めていた会社を退職し、結婚間近だったが自ら婚約破棄をしました。

次女は、在学していた看護学校へいられなくなり、自主退学となりました。

叔父2人(父親の弟たち)

宮崎勤氏の叔父2人(父親の弟たち)にも、その影響が大きく及びました。

長弟は、持っていた会社の名義を妻に変更後、他の5つの会社役員を全て辞職。

次弟は娘2人がいましたが、宮崎姓を名乗ることの影響を考え、「巻き込むわけにはいかないから」と妻を説得して離婚。

娘たちは妻が引き取ることとなりました。

叔父(母親の兄)

母親の兄である叔父には、2人の息子がいました。

1人は警察官、もう1人は高校教師でありましたがそれぞれ辞職しています。

以上、宮崎勤氏の判明している家族の末路でした。

宮崎勤氏の母親や妹たち、親戚家族が現在どうされているのかは不明です。

マスコミ・週刊誌の暴露により、加害者家族についても情報が世間に曝け出されることになったため、容易にターゲットにされてしまったようでした。

それだけ世間を震撼させた事件ではありましたが、結果宮崎勤氏の父親は自ら命を断ってしまったようです。

このように、加害者家族たちは世間からの誹謗中傷により壮絶な人生を歩まれていたのだそうです。

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