日本が世界に誇るフレンチの巨匠・三國清三シェフ。
世界でも有数の天才の三國清三シェフですが、ネット上では「離婚」や「書類送検」にまつわる噂がでているようです。
輝かしい経歴を持つ三國清三シェフのプライベートが、どのようなものなのか気になるところですよね。
そこで今回は、三國清三シェフの嫁や娘の家族構成、離婚の噂の真相、書類送検の理由についてまとめてみました!
三國清三シェフの離婚はデマ!

- 名前:三國清三(みくに・きよみ)
- 生年月日:1954年8月10日
- 年齢:68歳(2023年5月現在)
- 出身:北海道増毛町
- 職業:東京四谷「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナーシェフ、「ソシエテミクニ」代表取締役。日本代表フランス料理技術組合代表、一般社団法人全日本・食学会理事長代業ほか。
世界的に有名なフレンチ料理人の三國清三シェフですが、彼を検索すると「離婚」という気になるワードが出ていました。

確かに三國清三シェフはご結婚されて嫁と子供がいますが、結論からいうと離婚はされていません!
そうすると一体、なぜ三國清三シェフに「離婚」のワードが出てきたかは謎ではありますよね。
三國清三シェフの離婚にまつわる噂は、SNSなどのネット上では特にでていません。
しかし、三國清三シェフほどの人気シェフとなると数々のメディアのインタビューを受けて記事として掲載されています。
そして一部メディアでは、三國清三シェフの関連記事に別の方の離婚記事が出ていることもあるようでした。
もしかしたら、このようなケースで三國清三シェフに離婚のキーワードが浮上してしまったのかもしれませんね。
三國清三シェフの嫁は美人料理研究家で娘は研究員

三國清三シェフは、結婚して嫁と子供(娘)の家族がいます。
天才シェフのご家族がどんな方なのか見ていきましょう!
三國清三シェフの嫁・三國久美子さんの顔画像はこちら▼

- 名前:三國久美子(みくに・くみこ)
- 生年月日:1961年生まれ
- 年齢:62歳(2023年)
- 出身地:東京生まれ
- 職業:ヨーロッパ家庭科料理研究家、合同会社Ten.co代表
三國清三シェフと結婚された妻は、7歳年下の料理研究家・三國久美子さんです。
医者の娘で食通な父親の元で生まれ育ったという三國久美子さん。
三國清三シェフとは、1985年の「オテル・ドゥ・ミクニ」が開業された頃にご結婚されました。
三國久美子さんは身長が高く、振る舞いが堂々とされており見栄えが良いからマダムにぴったりと思ったのだそうです。
夫婦ともに、食に通じる職業をされていて価値観が通じ合うのでしょうね!
続いて、三國清三シェフの娘ですが、なんと研究員をしているのだそうです!
お名前は、「三國珠杏」さん。
三國清三シェフの娘・三國珠杏さんの顔画像がこちら▼

- 名前:三國珠杏(みくに・じゃん)
- 生年月日:1992年生まれ
- 年齢:31歳(2023年)
- 出身地:不明
- 職業:研究員
- 学歴:成城学院中学→成城学院高校→慶應義塾大学(心理学科専攻)
三國珠杏さんの名前は、三國清三シェフが尊敬している料理人の「ジャン・トロワグロ」さんが由来と言われています。
幼稚園、小学校、中学校、高校を成城学院に通い、その後は慶應義塾大学に進学。
大学院の社会学研究科修士課程で心理学を専攻されていました。
2015年にご結婚して、2019年頃にオーストラリア・ウィーンに心理学研究のため留学。
そして現在は、ウィーンに滞在し研究員として活動をしています。
2022年10月に投稿された三國清三シェフのYouTubeチャンネルに登場した三國珠杏さんは、心理学を活かし商業施設などの配置デザインについて研究していることをお話していました。
一時は、父・三國清三シェフの跡継ぎとして話を受けていたという三國珠杏さん。
現在は、全く異なる研究職をされていますが、将来的に三國清三シェフのお店を継ぐということもありえるのでしょうか。
今後の三國清三シェフのご家族の活動も暖かく見守りたいところですね!
三國清三シェフが書類送検された理由

かつて三國清三シェフは、2006年に傷害罪で書類送検された過去があります。
三國清三シェフが書類送検された理由は、男性社員の顔を殴ったためでした。
なんと三國清三シェフは、従業員の仕事が遅いことに腹を立て、顔を殴ってしまったそうです。
調べでは、三國シェフは1日午後3時ごろ、経営する東京都新宿区内のレストラン運営会社「ソシエテミクニ」の社長室で男性社員(46)に電話の受話器を投げつけたうえ、顔を殴るなどして顔面打撲の軽傷を負わせた。社員はその日のうちに四谷署に被害届けを提出した。
引用:産経新聞
世界的に名の知れた三國清三シェフが、このような事件を起こしていたことに驚きですよね。
今までは、料理人の世界では弟子を殴るというのは日常茶飯事とも言われていました。
三國清三シェフも世代的にも厳しい指導を受けていたのかもしれませんが、暴力行為は許されるものではありません。
一方で、当時の三國清三シェフは苦しい経営状況で「ストレスが溜まっていたのでは?」と推測もされていました。
「ミクニは事業の拡大路線が裏目に出ています。現在、全国に十数店舗ありますが、手を広げ過ぎたせいで『味が落ちた』ともっぱら。03年には丸の内店で食中毒を起こすなど、評判は芳しくない。そのうえ、この2~3年はイタリアンブームで、フレンチは苦戦。ミクニの売り上げも落ち込んでいる。今期も店舗の閉鎖などがあって、経営者としてのストレスがたまっていたのでしょう」(業界関係者)
引用:ゲンダイニュース
「最近は開店時間になってもなかなか店を開けなかったりで、客足が遠のいていた。若者が多い恵比寿ではカジュアルなイタリアンが人気で、経営もかなり苦しかったようです」(地元関係者)
引用:ゲンダイニュース
このような背景があり、従業員にも厳しくあたってしまったのかもしれませんね。